20年前といまの『受験』の差

Posted on 2023年6月4日20年前といまの『受験』の差 はコメントを受け付けていません

という記事を見かけたので。

20年前といまの『受験』の差

私は『二極化』という表現をよく使っていたが,先日友人が『偏差が上がっている』という表現をされており,こちらのほうがしっくりくるなと,そんなことを考えていた。

(注:偏差値ではなく『偏差』。雰囲気で語を読み取る人たちのことを考慮すれば,『偏差』は誤解の生じやすい語でもあり,それを鑑みれば『分散』のほうが良いのかしら。)

『受験戦争』『受験ノイローゼ』といったワードはあまり聞かなくなった。

競争率自体は過去よりいまのほうが下がっているからだろう。

出題内容はどうか。

内容自体はどんどん難化している。

大学入試センター試験(共通テスト)についても,私が現役で受験したころに比べ難度が高くなっていることは受験業界では常識であるよう。

1979-2022年 共通1次 → センター試験 → 共通テスト 終わりなき難化の果てに完成した戦慄の集大成(難易度比較完全版)

↑少しでも受験に関心のある人はさらっとでも見てみてほしい。

現役ではないからもう内容は分からないかもしれないが,部外者でも一見して分かる違いである。

分量も難度も今やここまで進化している。

『大学全入時代』だとかなんとかいっても,受け皿が増えたり子どもの数が減ったりというだけであり,出題量と出題難度自体はどんどん上がっている

気軽に『国公立ならどこでも』のその『国公立ならどこでも』のための学力ラインが高いし,感覚自体も『現代版』にアップデートせねば話がかみ合わない。

大人が『共通テストなんて簡単だろ』等吠えたところで,『そりゃあなたが受けた当時の問題は,今と比べればホントに簡単でしたからね……』と子どもに思われてしまうだけである。

20年前といまの『中学受験』の差

6年一貫校でも大学受験を見据えて生徒を取る出題をするところが少なくない。

20年前親が経験した「中学受験」と今の本質的な差

↑(受験大手)サピックス小学部に聞いた「今求められるもの」

私の考えている学習の方向性とかなり重なっているので紹介。

(具体的な出題傾向等は都会向けのものであり,地域事情と差異があるので注意。)

入試において「詰め込み」や「教え込み」ではなく、「何が出たとしても対応できる力をつける」ことが求められるようになった

地域では出題形式は違うものの,内容としてはそう。

教育業界に居なければ,昔の『詰め込み』のイメージを払拭するのは難しいもの。

「教わった内容を自分のものにして自分の力で問題を解くこと」に時間を使うことが重要なのです。どれだけ頭を悩ませるか、どれだけ頭を使う経験を積んでいるかが問われます。そのためには、われわれ教育関係者も、保護者も、「教えすぎないこと」を意識しなければいけません。

『どれだけ頭を悩ませるか』を重要視しているのは,私も同じ意見である。

単に『勉強時間』といった尺度ではなく,『分かりにくいものをどう自分にとって分かりやすくするか』といったことなどを磨き上げてゆく。

例えば、解き方を丸暗記させるよりも、どうしてそういう解き方になるのかをきちんと考えさせないと、応用が効きませんよね。

一見遠回りに見えますが、実は丁寧に書き出して調べる力が重要なのですね。大人は公式を覚えてしまったほうが効率的だとつい思ってしまいがちです。

公式を機械的に暗記することが重要な場面も無いわけではないが,多くの場合は『しくみの理解』が大切。

たとえば,高校数学で『円順列・数珠順列の公式』など暗記しても役に立たず,しくみの理解が必要であることは誰しも通った道であろう。

しくみを理解し,応用して自分で解き方を編み出したりなど。

これと同じことが多くの場面でいえる。

『覚えるだけ』といった世代の意識を子どもに植え付ける発言はご法度である。

いまの出題傾向と乖離しているのだから。

講義型の授業ではなく、対話的に学んでいるということは驚きました。中学受験に向けた塾の場合には、どんどん先に進んで量をこなすというイメージを持っている保護者も多いのではないですか。

大人は量をこなすような学び方のほうが安心しますからね。基本的には、ワイワイガヤガヤ子ども同士で話し合いながら授業は進んでいますよ。

とはいえ、6年生の演習が中心の時期になると、教員から解き方を確認するような講義型の時間も増えます。試験時間内に解く練習も必要にはなってきます。また、理科や社会でも頭を使って答える問題に立ち向かうには、「考える材料」がなければいけません。だから、知識の必要性を否定するわけではありません。

『考える材料』を増やすために暗記や練習が要るし,そのために『時間』や『量』は目的のために必要であることはある。

が,『時間が多ければよい』とか『量が多ければよい』といったことではない。

授業に能動的に参加するとか,自身の課題を認識して真摯に向き合うことが大切だ。

保護者が点数や偏差値などの「結果」だけを見てしまうと、子どもも「結果さえ良ければいい」と思うようになっていきます。例えば、結果を追うばかりにテストでカンニングをしてしまう子もいます。冷静に考えればカンニングで正解しても、実力は伴っていないので意味がないとわかるはずです。

同様に、答えを書き直したり問題を解かずに答えだけ書き写したりしても学力をつけることにはつながりません。子どもは悪気があってこうしたことをしているのではなく、保護者に叱られるという苦痛を避けるために、やむを得ず、結果を繕う行為をしているケースが多いのです。

受験当日に結果を出すことは大切ではあるが,そこまでの過程で結果を出すことを重要視しすぎないのも大切である。

授業ではくどく話しているが,大切なのは点数ではなく,自身の成長の余地を見つけてそれと向き合ってゆく,または今自分のものにできるなら今自分のものにしてしまうことだ。

それをし続けた者が,その結果として点数が上がる。

テストでは自身の伸びたところが出題されない場合もあるから,直後に結果としてあらわれるかどうかはタイミング次第ではあるが,腐らずに続けることだ。

受験勉強に近道はない。

が,中学受験の勉強は今後の人生に役立つ力をたくさん与えてくれるもの。

『あのころ受験勉強にホンキで取り組んで良かったなぁ』と,振り返ってそう思えるような体験をしてくれると嬉しい。