こういう発想する人をすぐ見つけることができるから,SNSはやめられない。
私がChatGPTで遊んだ記事ももう半年前か……。
ChatGPTに共通テストを解かせてみた
ChatGPTに共通テスト(旧センター試験)を解かせてみた
↑元記事。
はじめに結果が表示されていてとても読みやすい。
『ChatGPT』の間違いや欠点を見てすぐに『ほら見たことか』と述べてしまう人が居ることはおいておいて。
『どのように活用できるのか?』『どういう強みがあるのか?』『どういう弱みがあるのか?』等,もっと俯瞰した視点で見られると良いのだが……。
さて。
英語や倫政の正答率はさることながら,国語も受験生平均同等であること,とても興味深い。
これを見て『もうAIでいいじゃん!』となる人も居るのかもしれない。
私が考えていることは以下。
『AIの回答をどう評価するかが重要になってくるのではないか』。
ネットリテラシーという言葉がある。
web上に転がっている情報の真否について,自身の知識で判断するには限界があるものの,それでも『おおよそ正しいのではないか』『これは明らかにウソ』と判断してゆく力もそのひとつ。
AIについてもAIリテラシーのような,そのような言葉が登場してゆくのだろうなぁと,そんなことを考えている。
今後AIがどのように発展していくのか。
想像もつかないことが多くあるのだろう。
ひとつ私が考えているのは,たとえば『悲しいとはどのような感情か』は,周囲の情報から『どのような場面で悲しいとなるのか』を学習したり,『悲しいときにどのような生体反応があるのか』を学習したり,またそのときの反応を真似したりすることはできるけれど,AI自体が『悲しい』と感じることはないだろうということ。
つまり,集合知的な振る舞いはできるし,まるで感情があるように見えるような振る舞いもできるけれど,それ自身の内に感情を持つことはないだろうということ。
感情があるように見えたとしても,それはあくまで見る側のロマンの問題だろうなぁと。
そんなことを考える。