「他の先生の言うことは聞かないんですけど、先生の言うことは聞くんですよ…。」
久しぶりに聞いた言葉だ。
思えば塾講師として勤め始めた初年度も,ある高校生が「あの先生の言うことなら,信じれる」と言ってくれていた。
塾講師の向く方向
結論を先に述べると,「子どもの方向も向くけれど,保護者のご機嫌取りを優先する塾講師が多い」。
私はもともと塾の生徒として塾の先生が好きだったからか,「塾講師は子どもの方を向いているのは当前だ」と思っていた。
が,実際に塾業界に入って思い知ったのは,「子どもの方向も向く」けれど,「保護者の方向を向く」ほうが優先されるということだ。
今考えれば当たり前のことなのだけれど,お金を支払う人…すなわちスポンサーは保護者であり,子どもではないのだ。
極端な話,商業ベースで考えるならば,「子どもが成長しようがしまいが,保護者にお金を払う気にさせられること」「保護者の満足度を高める」ことが優先されたのだ。
だから,「授業中に理解できるようにする」よりも「ノートの跡が残っていることを優先する」ようにしたり,「子どもが成長する」よりも「家で勉強する姿勢を見させたほうが喜ばれるから,その雰囲気を出すために宿題を出す」ということをしたり,「暗記は短時間で頻度を高める」よりも「暗記会というイベントで通常料金にプラスして料金を取る」ことを優先したり,「子どものためになる」よりも「広告に売り文句として書けるかどうか」を優先したり…。
会社としては社員の生活のためにも利益を求めるのは当然であるから,全てが悪だとはいえない。
だけど,「どうしたら学力が上がるか」といった話よりも「どうやったら保護者の満足度を高められるか」がメインの議論には生産性が感じられない。
意欲を刺激すること
「なんか塾が好きみたいなんです…。」
「家ではさっぱり勉強しないんですけど,自習室には行きたがるんです…。」
私が担当する子どもたちの保護者から,何度か聞いた言葉だ。
私は,受験指導をする中で,家でのリフレッシュは大切にしてほしいし,睡眠時間も大切だから,しっかり休息してほしいと考えている。
意欲さえあれば,塾では勉強する,家でもやりたいときがあれば勉強する,その程度で良いと考えている。
もし目の前の勉強に必要性を見出していないのであれば,それは苦痛になるだけであるし,将来的にも勉強嫌いになるよりも,まずは勉強する意欲をかきたてるのが先であると考えている。
「苦痛の末に身に付けたもの」については満足感や達成感はあるかもしれないが,「意欲をもって身に付けたもの」のほうが,より多くのことが身に付くし,さらに次につながるものだ。
「意欲を刺激する」スイッチは子どもによって異なるのかもしれないが,共通するのは「受験勉強は楽しいもの」と体感してもらうことだ。
プリントのいろいろな場面,休憩中の何気ない会話,教室の小物,…あらゆるところに意欲を刺激する機会を作れるはずだ。
だから,私は「いきなり1回の授業で身に付く」といったことはあまり考えておらず,授業前後では子どもとの信頼関係の構築,子どもの現状把握,どういった指導が適切なのかを考察する…こういったことにいちばん心血を注ぐ。
それはただただ「呼び出して話をしましたよ」という保護者へ報告するための事実を作るために呼び出すとかそういったことではなく,必要なときに必要なことを子ども本人と話すことだ。
子どもも口に出さなくても,「ああこの先生は自分よりも親の方を向いているのだな」となんとな~く分かるということもよくあるもので,反抗期ともなると,それだけで信頼関係にヒビが入りやすくなる原因となることも。
このあたりのさじ加減は非常に難しいけれど,子ども本人も含め,子どもを取り巻くみんなが同じ方向を向いていることが大切であると思う。
まとめると,「保護者アピールばかり考えている塾のほうが見た目には良さそうに見えるけれど,私としては子どもの意欲を刺激することが先決で,保護者アピールは二の次だ」ということだ。
もちろん,いくら子どもが成長していても誤解されることもよくあるもので,保護者に安心してもらうことも大切であることは重々承知してはいるのだけれど…。
(自習室といえば,自習ブースが5席分ほどもらえる予定です!ありがたい!)
(写真は「安芸ひろしま武将隊」より小早川隆景さんと毛利元就さん。)