ともや塾とは異なるスタンスというだけだけれど。
わかることだけを教える塾
「今日の塾どうだった?」
「わからんかった」
(この塾に行かせていて大丈夫だろうか…?)
当然の疑問である。
塾は「わかるようにする」場でもあるもので。
そういった保護者の心の動きまで読めていたら塾側がどうするか?
「わからないであろうことは,そもそも紹介しない。話に出さない。」という手法を取ることがある。
そうすれば,「今日の授業わからんかった」とはならないので。
場合によっては,これが最適解となることもあるし,この行為自体が悪とは言えない。
が,その結果どうなるか。
「易しいことだけを扱う」「難しいことは扱わない」
塾側は一時的に保護者からの評価が低くなる状況を避けられる。
が,子ども側は,受験内容に間に合わない事態になる。
…こういった状況を目にすることがある。
最悪の場合,小6の冬休みくらいまでこの状況で学習し,受験直前になって「え!?受験内容にほとんど踏み込んでいなかったの…!?」なんて気づくことも。
(実際,数年前にそんな悲惨な状態で手を離された子の相談を受けたことがあります…。)
わからないことを教える塾
トップ層の子たちであれば当然わかることなのだけれど,「すべてわかる」という状態にはならない。
範囲の決まっている,中間テストや期末テストのような定期試験であれば,ほぼカンペキに仕上げられるものである。
これは,私自身,中学校の定期テストで9科目平均97点を取ったことがあるので当然であると考える。
で,この世界のイメージだけでモノを考えてしまう方,多いのですよね。
が,中学受験や大学受験という,範囲の決まっていない,実力がモノを言う世界ではどうか。
できればカンペキに近づけたいものではあるが,そもそもカンペキにすることよりも,必要なものにどれだけ触れ,どれだけ慣れてゆけるか…ということで手一杯であるもの。
「紹介されなければ,その概念や視点を認知することすらなかった…」という状態になるよりは,「理解は難しいけれども,そのような考え方があるのか!」という視点を得ることだけでも,ひとつ賢くなれるものだと考えている。
…と,塾業界に身を置いておれば知っていて当然のことではあるのだが,たまにはこういった話題もしておこうかなぁとだらだら書いてしまった。
中学受験は,途中経過を知ることが難しい世界であるだけに,こういった点は知っておくべきだと考えている。