至言である。
「ミライの授業」
またまたSNSで気になったものを見かけたので。
これ,大人と子どもの関係ではよく見られるもので。
大人が自身の体裁を保つために,子どもが自身の能力を超える部分があるとすぐに押さえつけようとするもの。
押さえつける側は無自覚でやっている場合が多いだろう。
「押さえつけようなどと考えていない」と思っているはず。
教師と生徒の関係でもこういった場面は見受けられるし,もっと広く言うならば,会社の上下関係でも見られる。
上司は自身の地位を脅かさない部下は応援するけれど,自身の地位を脅かす可能性のある部下はまさに「出る杭を打つ」ように押さえつけるもの。
ビデオゲームや小説といった創作などではキレイゴトばかりが描かれるため,主人公がどんなに大人の地位を脅かしても,そして立場が上の人を脅かしても,結果的には認められる場面が多い。
また,プレイヤー自身,読者自身もそれを当然のこととして受け入れているように思う。
が,現実はもっと人の意思や立場が絡むもので。
しかも「これが大人の世界だ」「これが社会というものだ」など,子どものような理屈をふりかざす大人も多いもの。
必要以上に斜に構えることはないけれど,そういった「場」や「環境」があるのだということ,それを前提として頭に入れておいたほうが,自分の身を助ける場面が出てくるだろう。
私自身,「教育」という仕事で身を立てようとしているのも,自分の立場を守るために可能性をつぶす大人たちをたくさん見かけるし,「若い人たちこそ大切にしたい」と考えているから。
私はまだこの本を読んでいないが,そのうち読んでみたい本のひとつである。
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