このレベルがあまりに低いということが話題に。
かけ算の筆算?
算数,数学について,「機械的にやれればよいのでしょう?」といった主旨の主張をよく見かけるもの。
が,中学入試,大学入試の問題等を見れば分かるとおり,「学習したものごとをどのように使うか」「どのように工夫するか」といった,「思考する」学問だ。
「機械的にやれればよいのでしょう?」は単に大前提の部分であり,論理立てて考えるならば,そこはできて当然のものごとである。
要は十分条件ではなく必要条件であるということ。
さて,冒頭の話題である。
私も小学生を指導する中で,子どもたちの計算過程を見ることは日常的に行っている。
ゆえに,先述の筆算も見たことがある。
この話題を子どもたちに投げかけたこともある。
そのときに返ってきた答えは以下のようなことである。
「学校ではそう習う」
「学校ではそれで書くべきだと言われる」
義務教育では,「楽しく学習」だとか「好奇心」だとか,そんなこと以前に,学力最低ラインの引き上げのほうが優先されるのだなぁと,すなわち学力上位層どころか学力中堅層ですら,学校の勉強では次の学年への接続が難しくなってゆくのだなと実感することのひとつであった。
(中学生の数学でも,「数学が分からない」というよりも「小学生で学習したはずの計算がうまくいかない」といった状況もたくさん見てきたもので…。)
地域にもよるだろうけれど,公立の中学校では,「生活指導」に教師が奔走するがゆえに,授業どころではないところも多いというのは周辺でも聞く。
いろいろな場面で学力の二極化が進んでいることを実感することが多くなってきたなぁと,そう感じる。