「読んだ本」的な。
広大附属福山中の国語
著作権の関係で,入試問題集を購入しても問題を確認できないもの。
「ともや塾」にそろえられている本を紹介。
「ふつうのおんなの子」のちから
著者は中村桂子さん。
この方自身がどのような方なのかは存じ上げないが,タイトルからすると「入試問題として扱われなければ,私が手に取らないタイプの本だなぁ」と感じたもの。
というのも,「ふつう」という語を推す表現や「おんなの子のちから」というなんとなく女性推しらしい表現が,創作でもなく実用でもないならば,私にとって学びがあるのかしら…と勘繰ってしまうからだ。
読み始めると,前置きの部分でそのことには触れられていたものの,中身は予想通りであり,あとで前置きを書いたのかしらと思わされてしまった。
何より「ふつうのおんなの子」を「創作の人物の中に見出す」というコンセプト自体が私に合わなかったのもあるかもしれない。
注目するポイント自体は悪くないのだけれど,著者の主観が前面に出過ぎているような感じが強く,共感によりコミュニケーションを取る方には読みやすいが,論理によりコミュニケーションを取る人間には読みづらいのではと感じた。(つまり,私は読みづらい。)
私がこういった感覚を感じる文章,子どもたちが読んでも好き嫌いが大きく分かれる文章であることが多い。
特にふだん国語の点数が安定して9割前後取れる子ほどこういったものには敏感で,聞いてみると「やっぱりそうよね」という感じがある。
ともあれ,自分からはふだん読もうとしない本であるからこそ,「乱読」のひとつとしてはふさわしい一冊であるともいえる。
やや批判的になってしまった感はあるが,一冊読んでそう感じただけであるので,この本に関してはこう考えているという程度。
閑話休題。
出題内容は,私が所持している版ではP.222-230の「『虫めづる姫君』の観察眼」にあたる部分。
このたびの出題は,幸いなことに設問自身が易しかったため,共感はできなくとも客観的な視座で読むことさえできれば全問正解は難しくない出題であった。
ただ,「みんなと同じことをすることが善」という固定観念がある子はこれが客観的に読めないかもしれないし,「共感できないものは読めない」といった子には読めないかもしれない。
こういったところは,「だいたいの文章は客観的に読める子」と「まだまだ幼く,自分の固定観念と書かれていることにギャップがあると,客観的に読むのが難しい子」に分かれると考えている。
国語が解ける子にとっては何が難しいのか分からないけれど,解けない子は解けないといったかたち。