近隣の受験界隈のみで。
塾の認知度の変化
開業前から開業当初は収益より何よりまずは認知度を──と考えて活動してきた。
が,そろそろ次のフェーズに移らねばならないのだろうなぁと考えている。
ホームページ開設当初と比べ,日常記事が増えているのもそのひとつ。
記事の方向性が,通っている子たち,そしてその保護者様方との交流のほうへ傾きつつある。
認知度が高まるメリット
多くの人に知ってもらえる。
→塾にとって:潜在的な需要が増える。
→子どもたち,保護者にとって:教育の選択肢がもうひとつあることを知ることができる。情報を得られる。
これは双方にとってメリットのあるもの。
開業当初と違い,双方ともに数年先を見据えて行動できるのも大きなメリットである。
すべての人にマッチするなどという現実と乖離した理想を私は持ち合わせていないため,必要としている人の力になれれば良いなぁと考えて活動している。
認知度が高まるデメリット
多くの人に知られてしまう。
→塾にとって:客ではなく単なる批評家から問い合わせがくる。歪んだ認知をもとにした問い合わせがくる。
→子どもたち,保護者にとって:講師のリソースが他に割かれる。
これは双方にとってデメリットとなるもの。
最近は『影響力がある』といわれることもあり,ヘタなことは書けなくなってしまった。
ゆえに有益な情報こそ通われている保護者に対して懇談で直接伝えたり,子どもたちに授業で直接伝えたりというかたちにシフトしつつある。
単に受験についてweb上で情報収集したりする人や,ウワサ話が好きな人に影響を与えている程度だろうと思うのだけれど,ウラを取れない性質のものでもあり,念のため。
実は先日問い合わせがありまして。
あまり具体的にしすぎると個人攻撃ともなりかねないので,内容だけかいつまんでいくと……。
『先生のブログがある掲示板で話題にされている。参考にされている方もたくさんいる。内容の更新を希望する。』
どこの掲示板なのかも不明,連絡先も書かれていなかったので確認もできない状態であったが,確かにとある記事のアクセス数が急に増えた時期があったのですよね。
その記事は3年以上前のもので,高校入試について言及するものだった。
参照するデータがどの年のものかという違いはあれど,単なる『入りやすさ』の話であれば今も私の見解は変わらない。
高校入試に至るモチベーションや出題難度の話題はまた別の話である。
中学入試のモチベーション維持はもちろんタイヘンだが,高校入試になると今度は安易に妥協せず,内申点も稼ぎつつ実力をつけるといったことを行いながら広大附属福山を目指すことが難しい。
特に公立中学校の学力レベルに馴らされた状態でこのレベルを目指すことのギャップ,これが分からない人が少なくないと思う。
意志の強さやこだわりが必要。
能動的に情報を探している人であれば,『投稿日時も古いし,現行の高校入試のシステムとも違うな……。この時期の先生はこういうことを書いていたんだなぁ……。』『そもそも入りやすさの話か……。』で済む話。
が,他責性の強い人,傾聴姿勢のない人,情報を結論部分だけ表面的にさらおうとする人,TAKER気質の人,事実判断と価値判断の区別のつかない人,似て非なるものを同一視してしまう人──であればどうか。
ともすれば,私の知らぬところで尾ひれがついたり,悪意が付加されたりし,全然あずかり知らぬ悪さをしているという情報が出回る可能性も。
教育に関するものであるので,学歴マウントの材料とする人も現れるだろうことも容易に想像がつく。
以前勤めていた塾でも,塾の想定外の悪意が付加された情報が保護者内だけで回り回って常識のようになっていたことがあった。
近隣の入試事情という狭い界隈で同じ情報がまわることにより,火の無いところに煙がたったりするのだ。
これはまさにエコーチェンバー現象の良い例だろう。
今回の件はどのような文脈で使用されたのかわからないが,これは前後のやりとりありきのものであろうから,問題になるのはそこの対話内容,そして読み手の問題であろう。
言い方は悪いが『バカでも分かるように説明に工夫したところで,そもそもバカは説明を聞いていない』という有名な言葉がある。
いくら説明を丁寧にしたところで,要求には際限がないことは想像に難くない。
『高校入試を扱うというのはこういうことなのだ』と知らしめられる思いである。
この件に関しても,イタチごっことなったり,対応してもしなくても責任追及と要望が発生するだけで,こちらが労力を割く意義は全く感じられなかった。
何より丁寧に対応すればするほど民度の低い人がクレームをつけやすくなるデメリットも存在する。
書かれている内容を書かれているまま読める人,疑問があった場合にも身分を明かし顔出しして質問できる人──のために書いているものである。
私のブログの読者であれば,私が高校入試に関心が無いことはよくご存じであろう。
言及しても良いが,専門外からの言及にならざるを得ない。
参考にすべきは高校入試の専門家の言であるし,私は公共物ではないのだ。
ところで。
教育サービス業に従事していると,おかしな問い合わせというのはちょくちょくあるもの。
『子どものため』『みんなのため』であれば,何を要求しても許されると考えている人にはよく出くわす。(みんなとは……?『みんな』または同義の表現を見ると警戒します。ご本人の希望を他者に転嫁しているのでは?と。)
『子どものため』『みんなのため』はタイヘン素晴らしいことであるが,そう思うならば自らが行動すべきだし,自らが行動できぬならばプロを頼る,プロを頼るならばプロに対価を支払うものだろう。
私も苦手分野はプロに頼る。
食材は作らず購入するし,洗濯掃除といった家事に必要な道具は自作せず購入する。
苦手分野をお金で解決するために,自分の得意分野で社会貢献しながら金銭を得ている。
人として当然の振る舞いである。
さて,上記の件。
頼られる側としては,労力や時間を無償で割いた上,無期限の責任までつきまとう──これがどんどん蓄積されてゆくことになる。
ともすれば目の前の子どもたちをないがしろにせねば立ち行かなくなる。
もう2~3年前にもなることなので個人攻撃にはならないであろうからひとつの過去の例を。
(通うつもりのない人)『先生の1年分のプリントをください』
とんでもない要望であった。
しかも,面と向かって言われたのだった。
・長い経験や知見の蓄積と分析,そして作業により作られたものを要求する。
・無償でやってもらえると考えている。
・志望校は私が対策している学校とは別。
・そもそも私は年間通して目の前の子どもたちの状況により授業を作り替えるので,1年分のプリントなるものは存在しない。
・存在したとして,全科目のプリントを選別し,刷るだけでも数日間の作業になる。
・渡したとして,不備がある場合に私に責任が生じる。
・無限にコピーされる可能性が生じる。(この場合も責任だけは私に押し付けられる可能性がある。)
想像力が欠如しているのか,TAKER気質が過ぎるのか──何であれ呆気に取られてしまった。
そもそもプリントは指導に必要な場合に使う補助的なものであり,メインは私が直接指導することである。
あまりの前提のズレに,どこまで説明のレベルを下げれば良いのか皆目見当のつかない一件であった。
会話が成り立たないというのはこのような場面のことだろう。
私ができることは,せいぜい『どうすればなるべく逆恨みされないよう切り上げられるか?』程度。
それももう相手の認知の問題になるため尽力するだけ徒労かもしれない。
(しかも,個人情報はデタラメな上,後日『破棄してくれ』と要求してくる始末。タイヘン後味の悪いできごとでした。)
ちょうど昨日,『ほんそれ』と感じてしまうリプライを見つけ,深く頷くなど。
私の場合,口調が丁寧だろうが実質何を要求しているかを見ているのでなおさらである。
後半は愚痴になってしまったが,まぁ備忘録ということで。
ともあれ,私のHPのURLを貼っていただくこと自体はありがたいこと。
批判の的となることはあれど,伝わるべき人に伝わる機会が増えるのはプラスですので。