いろいろと興味深い出題でした。
回数の期待値
小学算数の内容ではないのだが。
【問題】表と裏がでる確率が同じコインで何度もコイントスを行う。
①表が2回連続で出たら終了
②裏→表と出たら終了
どちらの方が早く終わる可能性が高い?
正解は2つ下の項目へ。
この問題を眺めたときに私が考察したのは以下。
「これは『2回目で終わる』までの具体例だけ考えて答えを決めつける人が出ちゃう問題なのだろうなぁ。」
数学が苦手であったとしても,『2回で終わらなかった場合,同条件になるか』について検討してみるだけでおおよその予測は立てられる。
すなわち,『本当にすべての場合についてそうなるか?』という批判的思考を持っているかということ。
そんなことを考えていた。
解説は↑のツリー下のほうへ。
先述のとおり,2回目に終わる確率が等しくなるため,短絡的に解答してしまうとミスになるという良い問題だなぁと思っていたのだが……。
反応を見るとそれだけでもなかった。
まず『題意を読み取れない』人が結構居るということ。
たとえば以下のようなもの。
・『①のルールでコイントスをして終わる場合』と『②のルールでコイントスをして終わる場合』の比較であるのに,『コイントスをして①か②で終わる』と解釈している人が存在している。
・『終わるまでの回数の期待値』について考える問題であるのに,なぜか『2回目で終わる確率は~,3回目で終わる確率は~』とそれぞれの回数で終わる確率を求め,『何回目で終わるかによります』等言い始める人が存在している。(聞かれていることが何なのか,主旨を読み間違えている。)
もとの出題はあまりに簡潔に必要事項のみが書かれているのだが,ふだん題意の読み取りを行っていないとそんな感じに読めちゃうこともあるのかなぁと,そう感じる反応だった。
これが読める読めないという具体例は置いておいて,日常で見かけるごく短い日本語でも,解釈が人によって異なる場合がいくらでもあるのだと考えるなど。
また,『回答しない』ではなく『間違った回答をする』ということも興味深かった。
問題が分からない,または関心がない,読むのがメンドイ,考えるのがメンドイ,……こういった場合,そもそも『回答しない』人も多いもの。
が,わざわざ回答して間違えているということは,ある程度考えて自身の答えを導き出した結果を回答しているということ。
『自分では正しい思考をして根拠があると思い込んでいる』等,日常生活でも訳の分からない論を主張し続ける人が存在するが,それと似た構造かなぁと,そんなことを考えていた。
高校数学
この問題は全事象を数えることができないため,数学で養う抽象的な思考力が必要になる。
他の人が言及しているが,まずは地道に書き出してみて規則を見つけ,計算し,
①の期待値: Σ k*Fib(k-1)/2^k=6
②の期待値: Σ k(k-1)/2^k=4
すなわち①の終了回数の期待値が6回,②の終了回数の期待値が4回で,②のほうが早く終わる可能性が高い。
もちろん計算は検証結果であり,期待値を具体的に出すならば必要という程度。
感覚的には『2回で終わらなかった場合,②のパターンのほうが有利になるな』という見当が付けられるかで正答を即答できるか否かが決まるだろう。
抽象的な思考を続けておれば,具体的な解答までは出せなくとも,おおよそ正しい方向の見当は付くはず。
(私はメンドくさがりなので,計算まではせず答えました……。)
結果を見るとおよそ70%,すなわち3人中2人程度が見事に誤答にハマっていた。
『場合の数』と『確率』については,ふだんの遊び等と結びついているため『取り掛かりやすい』ものではあるものの,それだけに誤認している人があまりに多いのだと気付かされる。
現実の生活と違い,この出題の条件は閉じている。
また,図形や文章の長いの問題と違って取っ掛かりはふだん算数・数学に触れない人でも取り掛かれる内容になっているのも良い。
論理的に考えれば誰でも正答に導けるはずでもこんなに間違える人が居るのだと,そんなことを認識する機会になった。
まぁ,いくら論理を並べても場によっては『多数派の言ってることが正解なんだよ!』『難しそうなこと言っても意味ないぞ!』という主張がまかり通ることも往々にしてあるのだが。
環境によっては,論理的思考よりもマジョリティであることが重要である場は少なくないから,気にとめておかねばなぁ。