「失敗は許されない」
こういった表現をよく聞く。
「失敗」はネガティブな言葉なのだろうか?
成功体験の良し悪し
「成功」は「モチベーションを上げる」「自信をつける」,そういった目的がある場合は有効だ。
だけど,手放しで「成功体験は良いもの」と賛美するのはいかがなものか,と考えている。
「成功」すると勢いがつき,ノってくることもあるだろう。
結果,良い影響が出ることもある。
が,悪い影響が出ることもある。
いちばん注意すべきは,「周囲の意見や一般的なアドバイスよりも,『自分のやり方が正しい』と思いこみやすくなること」だ。
もちろん,そう思いこんだほうが次につながる場面もあるし,そういった勢いを利用すべきときもある。
だけど,手放しにいつでも成功体験にしがみつくべきではない。
多くの人が行っていることで成功したのであれば,自分の成功はその中のひとつのサンプルに過ぎないのだ。
スポーツ選手に見る成功体験の罠
スポーツの世界では,多くの場合,オリンピックなどの「世界大会で1位を取ること」を目標に活動する。
そのため,「メダルを取る」といった成功を収めると,「ずっと目指していた目標が達成された」状態になるのだ。
目標が達成できたこと,それ自体はとてもめでたいことだ。
だけど,その後が問題だ。
周囲からの注目や期待が以前より大きくなるし,「選手の最高順位=選手の実力」といった認識で見られるようになる。
ずっとそれが維持できるのであれば良いのかもしれないが,多くの場合はいつが選手のピークかは分からない。
メダルを取ったあととなると,例えば「世界8位」を取り,選手本人としてはとても満足していても,世間やマスメディアでは「メダルならず残念」などと言われたりし,いつでも「過去最高順位を取ったときの選手像」を求められるのだ。
だから,一度成功を収めると,その後になかなかその順位を取ることができず,「燃え尽き症候群」にかかる人も多い。
ずっと1位だった人が1位から陥落すると,そのまま引退といったことも珍しくない。
つまり,いくら頑張って成功を収めたとしても,成功を収めたとき(つまり,過去最高の状態の自分)の幻影に引きずられないことが大切だ。
「いつもの調子でやり,結果が上ブレしたから取れたのだ」等,自分としては控えめに受け取るといったことが求められるだろう。
失敗から学ぶこと
失敗は大切だ。
先日も書いたが,致命的な失敗でなければ,失敗には学ぶことがたくさんある。
ここで言う「致命的」とは局所的なことではなく,自分の生命に関わるほどの「致命的」だ。
いま,実社会では何かが起こったときに,とにかく「犯人捜し」をし,犯人を捜して制裁を加えることが目的…となっている場面をよく見かける。
悪いことをした人がいるのならば,その人が制裁を受けるべきだということはよくわかる。
だけど,それではただ単に起こったことに対して対処した,対症療法に過ぎない。
本来的には,次に同じ失敗が起こらないよう,「失敗を予防する」ことが大切だ。
予防するためにできることは,単なる犯人捜しにばかり囚われることではないと考えている。
もちろん,「失敗をするために行動する」のは推奨しない。
「成功するために考え抜いて行動した結果失敗した」のならば,その後にするべきことは周りが責めることではなく,本人が「この失敗から何が得られたか」を考察することだ。
1勝9敗
失敗を責める。
実社会でよく見かけるし,テレビやネット上でもよく見かける。
だが,「失敗を責める」ことは,「失敗の抑止力になる」よりも,「失敗を隠ぺいする体質を作る」ことにつながっていることが多いのではないだろうか?
大きな成功をしている人は,「失敗を恐れず取り組む」という試行を繰り返している中で,そのひとつが成功となった例が多い。
具体例でいえば,任天堂がそうだ。(以下,趣味の話が混ざって長いです…)
任天堂は古くから,花札,トランプ,…時代が移り変わるにつれ,何に需要が集まるかが刻々と変化する中,売れるものを作って来た会社だ。
が,プラスチック製トランプが売れたあと,なかなかヒット商品が生み出せず,苦労した時期もある。
その間,タクシー,ベビーカー,食品,…今の子どもたちにとって,にわかには信じがたいであろう業種にも手を出していたのだ。
そしてヒットしたのが,レーザークレー射撃だった。
知らない方もいらっしゃるかもしれないが,あまりのヒットに,全国のボウリング場がどんどんレーザークレー射撃場になるほど。
が,オイルショックによる不景気で,レーザークレー射撃場はキャンセルが相次ぎ頓挫。
狙いも良かったし,投資もしていた。
が,「運」が悪かったのだ。
それでもその後も次々に新しいものにチャレンジし,「ウルトラハンド」「ゲーム&ウォッチ」「ファミリーコンピュータ」がヒット,現在のポジションになっている。
そして現在,ビデオゲームが主体になってからも様々な新しいチャレンジをしては,成功と失敗を繰り返している。
(失敗作のようなものを掴まされた人は,印象に残っているかも…)
チャレンジをすることに失敗はつきものだ。
新しいチャレンジによる失敗に関しては,「責める」よりも「チャレンジしたことを高く評価する」,こうあるべきではないかと感じている。
まとめ
「成功」は良いもの,「失敗」は悪いもの,…といった固定観念は捨て,「成功」が何をもたらすか,「失敗」から何が学べるか,これが大切だ。