とある懇談でいただいた言葉である。
(いただいた時期については述べない。)
「泣くほど悔しがるのは珍しい」
読まれている方は,この言葉を聞いてどんな想像をしているだろうか。
(…読み手次第で受け取り方が変わるだろうなと考えている。)
この言葉は,入試問題過去問を実践していて,成績が振るわなかったときのできごとであったらしい。
そのままではないけれど,このあとのお話は,「泣くほど悔しがるということは,それだけ本人が真剣に受け止めたということ」として評価されていた。
本人のことをよく知っているからこそ,私もこれには同意。
中学受験に関わる成績って,子ども本人のものであっても,当人には「ひとごと」「当分先のこと」としか考えられない状況,多いのですよね。
精神的な成長ってホントに人それぞれであるもので,同じように接してきても,「いくら言っても響かないなぁ」という子もいれば,「何も言っていないのに自身の弱点とうまく向き合えているなぁ」という子もいる。
そして,「いくら言っても響かないなぁ」という状態であった子も,何らかのきっかけで「受験と真摯に向き合い始めたなぁ」となることもある。
子どもの状況については,もちろん頭の中は覗けないし,表出しているものから推察してゆくしかないもの。
そして子ども本人にとっても,周囲の大人にとっても,「こうなりたい」「こうなってほしい」という理想像は思い描けても,なかなか思い通りにはいかないもの。
そんな中で,「悔しい」という思いを感じていることは,長期的な視点で見れば,大きくプラスになることと思う。
前職において,似たような場面で「泣いた」という行為のみに注目され,「泣くのが良いってどういうことですか!?泣くようなことをするなんてヒドイ先生ですね!!」とクレームをいただいたこともあるけれど…。
少なくとも,私はこれがスパルタ教育だとかそんなことは思わないし,本人が自身と向き合うきっかけとして,嬉しく思うし,暖かく見守ってゆきたい。