教育者といえば「教えること」が上手な人のことだと思われがちだ。
教育の終着点はどこだろう。
子どもが自立すること
私は今まで小学生,中学生,高校生を指導するにあたり,どの学年の子たちを指導するときにも注意してきたことがある。
「自立を促すこと」だ。
塾講師の立場から促す自立とは,「教わらなくてもできる状態」へと成長してもらうことだろう。
入試を受けるときには,もちろん先生に質問をできるわけではないし,試験中に取り掛かる問題には自分一人で取り組まねばならないから当然のことだ。
また,子どもたちが大学生,社会人となったときに,アドバイスをすることはできても,塾講師はいつでも隣に居られるわけではないのだ。
ふつう,受験直前に「カンペキ」といえるほどの状態になることは無いし,「カンペキ」になったとしても,それを個人で受験まで維持するのは難しい。
だから,自立ができても,受験が終わるまでは塾に身を置いておくということになる。
塾への依存
前述のように自立できた子が「受験まで塾へ通う」といった場合,中学へ進学するタイミング,高校へ進学するタイミング,…で塾を辞めることがある。
塾側は「会社の利益」「会社内での講師の評価」といった事情から引き留めにかかることが多い。
意図的に「塾へ依存させる」ように促すことすら考えらえる。
教育という,いわば神聖ともいえる分野で子どものことを考えるならば,「子どもの成長度合い」を第一に考えて継続して通うべきか否かを論じるべきだろう。
大学へ進学したあとはもう塾へ頼ることもできないわけだから,いつまでも塾へ依存するような体質になっていると逆に危険だ。
塾の利用
高校生になるころには,「通う塾は自分で選ぶ」といった子も多い学年だ。
子どものほうが必要なことを能動的に学び,自習し,専門分野の先生へ質問するころだろう。
高校1年生,2年生の間はまだまだ授業を受動的に受ける子が多いかもしれないが,3年生になるころには能動的な姿勢へ移行しておきたい。
私が高校3年生を指導するときにも,授業に関して一切手を抜くつもりはないが,子どもに対して以下のことを言ってきた。
「授業はオマケで,自習と質問,進路相談がメインだと思って」
このアドバイスがいつでも正しいとは言えないが,指導してきた子たちは,受験に対する意識がしっかりしていったし,結果にも結び付いた。
中には私の授業時間割をすべて把握して,その時間に合わせて質問を用意してくる子までいた。
こういった子たちに囲まれて指導ができたことは,本当に幸運だった。
このとき高校3年生を指導した経験が,その後小学6年生を指導する場面にも活きているのだと感じることも多い。
まとめ
教育者の仕事は教えることではなく,「教わらなくてもできる状態」への成長を助けること。(その過程で「教える」という行為がある)
塾側は,利益を考えれば「塾への依存」を促す場合がある。(塾は公的機関ではなくサービス業であるから,利益を出さなければ存続できない)
生徒側は,最終的に依存しないよう,「塾をうまく利用する」というドライな考え方であるのがベターである。(利用する中で「講師を信頼する」ことがある)