中学受験専門塾がこのタイトルの記事書いて大丈夫なんですか?
中学受験はやめなさい
副題は『高校受験のすすめ』。
著者は『じゅそうけん』こと伊藤滉一郎氏。
先日記事にした『中学受験 子どもの人生を本気で考えた受験校選び戦略』の著者でもある。
この2つの書籍を連続で出すセンスはとても好き。
地方の中学受験専門の塾長としては読むべきタイトルであろうと思い読了。
結果,読んでよかった。
というのも,おそらくタイトルだけを見て『やめたほうがよい』と結論を出すような浅慮な人々を釣るためのタイトルであることが良く分かったし,そのような人たちは確かに中学受験は必要はないだろうと感じたのがいちばん大きいかな。
昨今は記事のタイトルだけを見て推測した内容を読み取る人が目立つ世の中になってきたもの。
受験については受験者本人の実力のほか,受験する年の制度,受験する年の競争率等が重要になるものだが,この書籍タイトルにより競争率が下がるならば受験者としては渡りに船ともなる。
(もちろん,読んだ上でやめたほうがよい場合,読んでなおやったほうがよい場合,それぞれ存在するだろう。)
まぁ『○○はやめなさい』というタイトルが流行っており,そのオマージュというブラックジョークを用いつつ,センセーショナルなタイトルにすることにより目を引くといった販売戦略なのだろうけれど。
内容は客観的な内容と主観的な主張が入り混じっており,それに注意が必要なのはもちろんなのだが。
いちばんの注意点は『大学受験』と異なり『中学受験』『高校受験』は地域によって事情が全く違い,本書は東京都周辺の事情に特化した内容になっているということだ。
公立高校受験については,都道府県をまたぐとルールが正反対なんてことはザラ。
『へー。首都圏ではこうなんだ。』という視点が必要。
広島県の公立高校受験については2023年度入試に大きくシステムが変わったのが記憶に新しい。
引用されている資料に『公立進学校ランキング』なるものがあるが……。
↑は『公立進学校ランキング(2022)』の右側に主要国私立を付加したもの。
広島県を抜粋してみよう。
S~S-:広島学院(私立・広島市)
A+:広大附属福山(国立・福山市)
B:基町(公立・広島市)
B-:県立広島(公立・東広島市)
以上。
(たとえば城北は広島城北ではないなど注意。漏れがあったらスミマセン。ご指摘いただけると助かります。)
県東部の公立高校はすべてランク外となっている。
県立広島が6年一貫校であることを鑑みれば,これもこの文脈で述べられている『(中学受験のない)公立高校』ではないだろう。
さて,『受験』となると入口の話に終始する場もよく見かけるが,出口まで見据えて考えた場合は『大学入試』を考えることになるわけで。
『大学入試』となると全国区での競争となるため,地理的に近いところから視野を広げて考えねばならない。
そうなると,こういった立ち位置になるという話である。
これを前提にして考えると,本書の述べている『公立高校受験からの大学受験』について広島県の受験事情とは感覚がほとんど噛み合わないことがこれを見ただけで分かる。
それをふまえ,『都会の受験事情はこうなのか』という視点で読むことが求められる。
中学受験にかかる費用の話題。
こちらも本書では300万円と触れられているが,たとえばともや塾では2年間のみの学習で終え,すべて込みの総額で100万円を切る設定になっている。
これも大きな違いだろう。
中学受験はオーバーワークの話題。
学校でやっていることと比較すると求められる力が高く,また勉強量が多いことは間違いない。
が,こと広島県東部については,東京周辺の入試どころか広島市内の入試事情とも異なり,小学範囲を大きく逸脱しないため,ここの感覚も大きく違う。
周辺の中学受験を経験した中高生や保護者ならば分かると思うのだが,特に理科については顕著だろう。
ゆえにオーバーワークといえるほどではない。
あとは当人の基礎力とのギャップの問題で,たとえば語彙力や計算力は今までの学習機会や日常生活,当人の発達過程により差がある。
また,『わからないもの/理解できないものに真摯に取り組む』という経験自体も初めてである場合も少なくなく,心理的な衝撃などはあるかもしれない。
が,都会の入試問題の理科,おもに『てこ』の出題などと比較してみてほしいのだけれど,県東部の難度は全くもって生易しいといえるだろう。
勉強が嫌いな子だったのに、受験が終わって勉強がなくなる生活になるのはなんかさみしい…と話していました。
この1か月,息切れするんじゃないかとハラハラしましたが,終わってみれば,子どもは楽しんでいたんだなって思います。
子どもは色々なことをソツなくやってきましたが,1番好きそうなのが勉強だあ!最近わかった事実です。衝撃でした。
(以前いただいた保護者のコメントを抜粋)
中学受験の勉強が,何らか将来に生きるきっかけになるとか,勉強習慣として身に付き大学入試のときにもう一度役立つとか,いろいろなコメントをいだたくことがある。
現在も『甘えが目立つので精神的なタフさを鍛える機会にしたい』といった声もいただいている。
それでもオーバーワークと感じるならば,ムリにする必要はない場合ももちろんあるだろう。
『中学受験算数』の問題の話題。
これを『役に立たない』と切り捨てられていたのは私とは大きく見解が異なるなと感じた。
私は高校数学を指導する立場から塾講師になったこともあり,高校数学のベクトルや数列をはじめ,受験算数で培った思考力は充分その後に生きてくると感じている立場。
これを『小手先の解法』とワクを狭めて考える向きもあるのだなぁと,そう感じた。
これは前述の『オーバーワーク』との連鎖で起きることなのかもしれない。
日本はバリバリの学歴社会の話題。
これは私も同じ考えで,いまだに顕著ではないか。
雇われる側でなく,雇う側視点に立って考えれば腑に落ちやすいと思う。
もともとの知り合いであればそうではない場合もあろうと考えるが,それを除いて考えると……。
初対面の人や人となりが全く分からない状態で人を選別するとなると,もはや『外見』『実績』が大きな判断材料となる。
『外見』『実績』で突出したものがないならば,やはり『学歴』を見ればある程度の能力・努力が担保される指標としやすいということになるのだろう。
この怒涛の少子化の中でも各大学が現在の定員を維持するのだとしたら、20年後には大学入学者の50%近くが国公立マーカン以上になります。 MARCHは中堅大学の位置付けとなるなど、ブランド大学の基準も大きく変わってきそうです
「GMARCH」が中位層に? 少子化と大学進学率の上昇で『ブランド大学』の位置づけはどう変化するのか
↑ニュース記事。
2023年度の大学入学者は、35%を国公立大+「早慶上理」+「GMARCH・南山・関関同立・西南学院」が占めていました。それが2041年度は、国公立大+「早慶上理」のみで33%近くを占める予想です。「GMARCH・南山・関関同立・西南学院」を含めた累積構成比は46%となり、2023年度の国公立大+「早慶上理」+「GMARCH・南山・関関同立・西南学院」+「成成明学獨國武」+「日東駒専・産近甲龍」の累積構成比を上回ります。これは、2041年度まで各大学が募集定員を減らさなかった場合の試算です。 この試算が何を示すのかというと、2040年代には、今でいうGMARCHや関関同立といった大学群の学生は珍しくない時代が来るということです。いわゆる「ブランド大学」の位置づけが大きく変化することになります。
定員の調整や入試システムはもうその時勢の流れ,それぞれの思惑次第……。
何もない場合ほど学歴が重要になってくるわけだけれど,何もない場合の担保となる学歴のラインは今後上がってゆくのかもしれない。
「あの大学出身者はNG」…採用の現場で「学歴フィルター」復活の予兆【キャリアのプロが解説】
↑学歴フィルター。いまだに聞く。
結論としては、「一流大学に入っている学生は高い学力を保持している」という評価ではなく、家庭環境から推察して「人間性が偏っているリスクが低いであろう」という評価をされることになります。そのため、企業が大学を固有名詞で指定してフィルターを掛けてくる傾向が急速に強くなっているのです。 大学の名称などは、一般的には就職差別を誘発する要素ですから、求人票などには絶対に書いてはならない事項なのですが、残念ながら筆者の経営するエージェントには、「東大早慶一橋まで」とか「旧帝大以上に限る」とか「日東駒専はNG」といった、公言できない言葉がそのまま通達されることが多くなってきました。
最近は『学歴』の意味合いが従来とは違ってきており,単純な学力というより『育ち』や『家庭環境』が見られている傾向があるよう。
いろいろな活動をすることはもちろんだが,学業もおろそかにはできないといった家庭で育ったか否かといったもの。
社会生活などは短時間で見極められるわけもないから,ひとつの指標で比較するならば学歴が分かりやすいというものだろう。
『高校名も見られている』といった話題も聞くが,こうなると将来広島県周辺で働く場合には影響が大きいかもしれない。
ただ採用にかかわるものごとも流行り廃りがあるので10年後のことは分からない。
いま子どもの人数が減っていることもあり,そもそも人材が足りなくなってくるのではないかとも考えている。
いまや経済活動トップの人物たちは起業したりフリーで働いたりすることが多いだろうしなぁ……。
最後に高校受験からの大学入試体験談がいくつか載っており,気になる人は読んでみたほうが良いだろう。
『どのような人』なのか,よくわかると思う。
本書では『数学だけできるチー牛』といった蔑称などが堂々と用いられていることがとても気になった。
著者の品性をどうこう述べるつもりはないが,こういった書籍でこの語を用い,編集者もそれを通してしまうのかと思わされる。
前著と比較すると,謙虚な姿勢から傲慢な姿勢へ移りつつあるのかなとも読み取ってしまう。
『男子校出身者は未婚率が高い』といった内容も引き続き繰り返されており,このあたりに警鐘を鳴らしたいのであろうことが推察され,それ自体は視点を持っていない人にとっては有益な情報のひとつとなろう。
社会に出るころまでの将来,しかも仕事だけでなく家庭を築くところを見据えて考えられていることがよく分かる点でもあり良い点でもある。
反面,JTC前提のルートにアンカーが打たれてしまっているのも気になるところ。
最近著者自身がYouTubeで発言しているのが以下。前述の語を使う著者の人となりがある程度見えるかも?
コメントは賛否両論だが,現時点では否が多いかな。
公立中学でヒドい目に遭ったので子供ができたら中学受験させたいと思ってます
内申点とJTCでの評価がシンクロしやすいというのは社会人ですので痛いほど理解しています。 その上で、苦手な人が内申点稼ぎをするムーブが、中学生という発達途上の段階で実際にできるのかどうか、 努力はしてみたけどできずに高校のランクを落としてしまった人の予後はいいのか(努力した事実はどこかで報われるのか)、 追跡調査なども是非とも見てみたいところです。
将来的に無くなるJTCで有利になるって言われても子供をそんな風にしたくないですね。 内申悪い=社会不適合者のイメージを作る様な考え方は広めないで欲しい。
ともあれ,自身には無い視点やデータが短時間でふんだんに得られる書。
また,中学受験をやめようと思っているが惰性で続ける人などが踏ん切りをつけるとかそういったきっかけにするといった活用法も考えられる。
ローカル事情はローカルな塾やローカルなコミュニティで,全国区の事情は全国区の事情で,さまざまな視点から情報を集めてゆきたいところ。