「見れます!」「食べれます!」「寝れます!」…。
「ら」抜き言葉の是非
日常生活において,「ら」抜き言葉はちょくちょく目にしたり,耳にしたりするもの。
これが会話であれば全く問題ない。
わざわざ話の腰を折ってまで指摘するものではない。
むしろ「相手の理解をスムーズにする」という意味では,あえて「ら」抜き言葉を用いることにより,「受け身」「尊敬」「可能」「自発」のどれか?を分かりやすくする場合もある。
が,「作文」や「国語のペーパーテスト」においては,「ら」抜き言葉は避けたほうが良いだろう。
よく使われる「ら」抜き言葉
日常生活でも使う場面が特に多いのは,「食べれる」「見れる」だろう。
大人が間違えている場面も多々見受けられる。
おそらく「書く」行為に慣れていないのではないか。
直すために
日常生活で直す必要がないとはいえ,いざという場面で間違えないために,ふだんから正しい用法を使うクセを付けておくことが推奨される。
だから,「食べられる」「見られる」と言う必要がある場面で,常に気にするようにしておくのがいちばんだ。
必要なのは理解ではなく,自分のものにしておくことだからだ。
話はかわるが,「時候の挨拶」は形式的すぎて調べれば間違うことはない。
だからこそ私は「時候の挨拶って必要あるか?」という立場だ。
そんなことよりも,実内容のちょっとした文面で教養が現れてしまうので,そちらのほうが気になるなぁ…。
(「れ」入り言葉も同様ですね…。)
こういった教養の無さが露呈してしまうと情けないので,私のように情報発信を続けるような塾講師はあまりいないのだろう。
私自身,ブログの中で無学なところをたくさん見せているもので…。
(スミマセン。)
まとめ
日常で「ら」抜き言葉に目くじらを立てる必要は無い。
本人の意識として,「作文」や「ペーパーテスト」,もっと長い目で見て将来のために,ふだんから意識しておくのが良い。
ふだんから「食べられる」「見られる」を使用することにより,定着させることが可能。