AIが止まらない。
AI失業
↑ニュース記事。
こういう話題を見ると毎回思うのだが。
『失業の原因は本当にAIか?』
仕事は価値を生み出すことにより対価を受け取るものであるし,それは社会の発展により変化するものである。
以前も書いたが,『AI失業』『AIに仕事が奪われる』といった文言を見かけると毎回思い出すのが『おぢいさんのランプ』である。
私もいつ需要が無くなって失業するか分からないような立場であるが,専門的ではなくとも『AIに何ができそうか』『AIに任せるより人がやったほうがコストパフォーマンスが良いものは何か』といったものごとには敏感になっておきたい。
また,自身の得手不得手を常に追究し続けることをやめないでいるべきかなと考えている。
私は年齢を気にせず人付き合いするタイプで,自分が歳を重ねてきたこともある。
ゆえに,以前は年上の友人が多かったものの,最近は20代の友人が増えてきた。
その20代の友人たちの様子を見ていると,私たちの世代よりも『自分は何者か』といったことに関心を寄せている人が多いなと感じている。
社会のルールを変えるのは難しくとも,自分の生きやすい環境を見つけること,自覚できていなかった得意や苦手を知ること,またそれを活かしやすい環境を見つけること,──こういったことを求めているかたち。
これはある意味正解で。
以前のように国全体の利益が増えている時期は,結果が出なくともとにかく頑張れば,時間を延ばせば収入が増えた。
いまはそうはなっておらず,頑張ろうが頑張るまいが,需要に応えることが求められる,シビアな世の中になりつつあると感じる。
数値では『ドル円』に顕著にあらわれているが,一時150円になりかけて戻したものの,また150円に届く勢いである。
あ,話がそれそうなのでここで切ろう。
このままいくと『日本語』の特殊性と『島国』の特殊性の話題になってしまう。
中途半端になりましたが,本日はここで。