『一概にはいえない』は当然として。
受験勉強を通して身に付くこと
少し前に話題になっていた投稿から。
https://x.com/yokkoGT/status/1728760651848585445?s=20
落ちたらどうしようと思う人に気づいてほしいのが、受験に参加して、プラスにしかなってないってこと
思考力、計算力がついた、自制心も多少なりともついた。そういう「能力」こそ今後の人生で活きるもの
その能力はどの学校に入ることになっても消えない。受験を頑張った者に必ず与えられるご褒美
文言まるごと賛同するわけではないが,方向性については私も大いに賛意を示す。
もちろん『受験勉強でなければ身に付けることができないのか?』となれば別の機会もあろう。
ただ,世間一般でよくいわれる『勉強』に真摯に取り組むことにより『傾聴力』『注意力』『似て非なるものの区別』『客観性』『知的謙虚さ』が養われるのは間違いない。
『傾聴力』と書いたけれど,耳で聞くにとどまらず『書き手の意図を抜かりなく読み取る』とかそういったこと。
『注意力』と書いたけれど,これは本来『批判的思考力』や『クリティカルシンキング』と書きたいところだったが,表現をやわらかくした。
『批判』は学術的な場ではとても大切なことなのだけれど,『非難』の意で使われることが多く,また『批判』=『非難』と思い込んでいる人も少なくないため。
何が課題のポイントになるのか読み取る力は,大人が思っている以上に一朝一夕で身に付くものではない。
コミュニティにおいては『ポイントをつくこと』=『和を乱す行為』として憚られる場合も往々にしてあるため,そもそも能動的に『批判的思考力』を身に付ける機会が皆無の場もあるかもしれない。
『似て非なるものの区別』と書いたけれど,同じジャンルのものごとや文言が似ているけれどまったく異なるもの,こういったものごとの区別がつかない人はあまりに多い。
私自身も他人事ではない。
明るくない分野に関しては混同してしまうことはままあるもので,それを自己認識する大切さを身をもって学べる機会でもある。
『客観性』と書いたけれど,『ものごとを客観的に見られる度合い』が人によって異なるなぁと私は常日頃感じているもので。
『客観度』とか『客観性のレイヤー』だとか,似たような意で『俯瞰視点』とか『メタ認知』だとか,適切であればそういった語を用いることもある。
思考のベースがあまりに主観に偏っている,または相対的にしかものごとを見ることができないといった場にもちょくちょく出くわす。
もちろんこれらが欠けていても生きてゆけるし,0か1かといったものではないため,有無について述べても仕方が無い。
これらの力を身に付ける機会のひとつとしていただければ,前述のPostで述べられているよう,生涯役立つ力になるだろう。